細工場の薪ストーブに火を入れ、土間を掃くのが朝一番の仕事。そして1時間程1日分の土作り。土揉みが終わる頃にはストーブの上でお湯が沸く。それでお茶を入れ一服。窓の外に目をやる。時々風花が浅間山の方から飛んでくる。厳冬のこの時期、庭は枯野。それでも気晴らしに外に出てみる。そして必ず眺める木がある。益子から移植したサンシュユの木。今年はいっぱいつぼみをつけてくれた。頑張ったねー、と声をかける。本当に良く頑張った。
益子に修業に入った最初の年、辛いこともいっぱいあった。そして初めて迎えた冬は本当に寒かった。南国生まれの私に「益子の冬は寒いぞ」と皆は言った。確かに寒かった。(今思えばこの榛名山麓の寒さに比べれば何でもない!) 仕事柄、手にはアカギレができ、足の指はしもやけができた。朝一番の土作りを命じられたその粘土の表面には氷が薄く張っていたりした。そうして三月になり、細工場に線香花火のような黄色い花の大きな枝が一枝活けられていた。そこだけにほわっとした温もりが灯っていた。サンシュユという花の名前はその時知った。私は厳しかった冬が終わったことを知った。そしてサンシュユの花が大好きになった。独立したらきっと庭に植えよう、とそのとき思った。
3年後、窯を持って独立した時、真先に庭の一番目立つところに、自分の背丈程のサンシュユの木を植えた。
そうして5〜6年、木は大きくなるものの、花はちっとも咲かなかった。
ある年の3月、突然花は咲いた。サンシュユの花を初めて見た時のほんわり暖かいものが胸いっぱいに満ちた。以来、早春一番に花は咲き、私を幸せにしてくれた。だからこちらへ移って来る時、どうしてもこの木だけは連れて来たかった。
木は私の背丈の倍以上になっていた。太い根を大部切ったし、素人の移植で、根付くかどうかは賭けのようなものだった。案の定、最初の年の晩春から夏、出てきた葉は情けない程に細く小さかった。枯れるのかなあ、と見るたびに思い、そのたびに頑張れ頑張れと声をかけた。
あんなに小さな葉をまばらにしかつけなかったのに次の春、健気にも数える程であったけれど花が咲いた。毎日愛しく眺め、頑張ったねーと声をかけた。
そして昨年の夏は大きな葉がいっぱい繁った。頑張れ頑張れと声をかけ続けた。
厳寒の中のこのつぼみ。たくさんのつぼみ。頑張ったねーと見るたびに思い、そしてやっぱり声をかける。
もうすぐです。
冬。
大雪のニュースが流れ続ける中、この地の雪は昨年に比べて少なく、12月に慌ててはいたスタットレスタイヤが無駄だったかなと思うこの頃。それでも、標高700mの厳寒に恐れをなし、近隣の人以外我家を訪れる人はほとんどいない。
今年に持ち越した薪割りもようやく終わり、窯焚き3回分はストックできた。玉切をぎっしり積んでいた薪小屋2号は空っぽ! これが限りなくうれしい。
そして1月半ば過ぎからようやくロクロの仕事を始めた。
あと一息のところで薪割り機が壊れた…
最後は腕力勝負 !?